kotaさんに合掌

昼休みにTwitterを眺めていたら、"日本一周" という言葉がトレンドにあがっていて、なんだなんだとそのTweetを読んでいたら、22歳の青年がバイクで日本一周をしたあとに自殺を企て、どうやらこれが既遂したらしい。

Togetterまとめ: 22歳の青年、バイクで47都道府県走破する旅の終わり、自殺予告し川治ダムに飛び込む「最後に日本一周出来て幸せだった、楽しかった。さようなら」

Twitterの検索窓に「日本一周」を入れて叩くと、彼に対しての様々な意見、考え、思い、主張、説教、等々、実にさまざまな投稿がデロッっと表示されていて「ああ、これが世の中の縮図か」と思ってしまうような有様ではある。

注意欠陥多動性障害 (ADHD) とそれによる生きづらさをかかえ、旅をしてもなお彼を自死へと追い詰めたものはなんだったのか? などという、ご高尚なご考察などしたくもないが、ネットの海の中で流れている彼についての投稿を見ているうちに「これが彼の寿命だったのかな」とも思われてくる。生きづらさをずっとずっと抱えながら精一杯生きて、生きて生きてそれでもどうしようもなかったような自殺について、外野が何を言えようか。死人に口なし、今更彼に何を言っても……。

希死念慮、自殺念慮を抱える者にとって、「死」は時として最後の行き場所であり、時として最後の逃げ場所でもある。病によってかよらずか希死念慮等が出現してしまうと「死」がどうしても近くに感じられてしまう部分はあろう。

希死念慮があれば「どうにかして耐え忍びましょう」という言葉があり、自殺企図があってそれが未遂となってしまったとしたら、「大事に至らずよかったですね」という言葉がそこにある。

本当に死んでしまったら、それはそれで、「これまでの人生お疲れさまでした。たいへんでしたね」と言うほかにない気がするのだけれども……。


数分読み進めるうちに、思い出した人物がある。南条あや(本名:鈴木純)女史である。彼女の死後に出版された、Web日記を収められた本『卒業式まで死にません ―女子高生南条あやの日記―』(新潮文庫)のそのタイトルは、彼女がこの言葉を周囲に繰り返し言っていたことからとられたという。

「○○○まで死にません」というのが何とも “危ない" 気がしてならない……と、今回痛感させられた。

あやちゃんの場合は「卒業式」、kotaさんの場合は「日本一周」がそれだったのかもしれないが、もしかして、本人が考えていた一つの大きな節目が終えられ、過ぎた後というのは、いわゆる “燃え尽き症候群" のような不安定さが心に生ずるのではなかろうか、と感じている。あるいは、ひと区切りがついて、妙に冷静になってしまう瞬間が訪れる、とでも言おうか……。

私自身も人生の半分以上を精神疾患患者・発達障害者として過ごしているが、半生を思い返しても、やはり「大きな節目」の前後は相当に危なかった。
割と本気で「卒業論文を書き終えたらもう死のう」と考えていて、一時は方法も真面目に検討していたが、これは大阪に住む当時の友人の一声「卒論終わったら遊びに来たらえぇねん」によって回避された。おそらくこのことが無ければどっかの海にでも向かって行って入水でもしていたかもしれない。


世の中を受け入れること、人・物・自然を受け入れることは、もちろん死ぬことさえも受け入れること。さまざまな主張はあるだろうけれど、じっとその事実を直視するうちに、「あなたはどう生き、どう死にたいか」と、こちら側が問われている気さえもしてくるのです。

感謝を言葉を幾重にも連ね、「幸せだった、楽しかった」と命を終えたkotaさんに、合掌。