“笠陽一郎処方” に生かされる

神奈川精神医療人権センターの佐藤光展さんが書かれたインタヴュー記事 “笠陽一郎さんの「波乱万丈の精神科医人生」" (1~4) を一気に読んだ。私自身、笠Dr.のセカンドオピニオンには何度も助けられた。もっとも、約15年前にそのWebサイト “毒舌セカンドオピニオン" を見つけたのは父だったのだが、のち、自ら二度手紙を認めることとなった。

精神科セカンドの初期の頃は、"統合失調症ではなく強迫神経症 (≒神経症 (Neurosis) 圏)" で、"ルボックス® (=デプロメール®=フルボキサミン) 単剤処方" という指摘が多かった気がするが、『精神科セカンドオピニオン』(シーニュ) が世に出てまもなく、"統合失調症ではなく発達障害の二次障害" がほとんどで、"西洋薬ではなく漢方薬" という方向になっていった。今でこそ、発達障害と過剰にかつ容易に診断されることが多いように感じられるが、当時 (2005年前後~2010年前後) は児童思春期精神医学の専門医くらいでないとその診断をズバリ言いのけることがなかったようにさえ思われる。もっとも、その専門医様ですら、紹介された患者に「アスペルガー障害疑い」と疑い病名をつけ、挙句の果てに「薬物療法が奏効しない場合はECT (electro convulsive therapy, 電気痙攣療法・電気ショック) も考慮されたい」などと診療情報提供書 (返書) に書いていたので、やっぱりあの時代の精神医療は荒廃していた。

発達障害者は或る感覚が過敏だったり鈍感だったりするといわれるが、小さな頃から思い当たることが多々ある。小さい物音や突発的な物音には相当に敏感で、時に街の雑踏すらうるさく感じることもあり、これは今も変わらない。札幌と比べればこの田舎は静かなものだけれど、静かなだけに、夜中突然バイクが駆けて行くと参ってしまう。肌の感覚も特異なようで、床屋でバリカンで刈られるときなど、くすぐったくてじっとしていられなかった。幼稚園の頃からそんな感じで、中学生頃には少しはまともになってきたが、その日その時によっては今もそうなってしまうので、床屋さんは大変だと思う。

こういった不思議な感覚があると、時に、思春期に特有の苦悩や葛藤 (によるノイローゼ的症状?) と相まって、統合失調症では有り得ない “了解可能な幻聴・妄想" に苛まされてしまうことになる。
本当は発達障害特有の生きづらさゆえに憂鬱 (あるいは抑うつ?) になっていたのをうつ病と云われ、若年者に投与すると自殺企図のリスク増があるのに厚労省が黙って隠していたおかげでSSRIs (デプロメール®、ジェイゾロフト®等々……) を投与され、本当に自殺企図をしてしまったら今度は抗精神病薬 (コントミン®、レボトミン®、ジプレキサ®等々……) を投与され、気分は上がったり下がったり鎮められたりでもう大変だった。まるで教科書通りの多剤併用大量投与により閉鎖病棟や保護室にぶち込まされていた頃に家族が見つけたのが精神科セカンドだった。

約5年が経った頃、何を思ったのか笠陽一郎Dr.に手紙を書いた。大学3年の冬だったと思う。ある日の夕方に突然携帯が鳴り、出先で出てみると、

「もしもし、松山の笠です。お手紙ありがとうございました。
 以前は僕も不勉強で、ご迷惑をおかけしましたね」
しばらく話すうち
「ほうかほうか、大変じゃったのう。僕と同じや……。ようわかる。大変じゃったのう。」
その一言にどれだけ救われただろうか?!

「いいですか、漢方の54番か83番ですよ」
「実は主治医が薬を変えようとしなくて……」
「それだったら、内科でもどこでもいいから、とにかく出してもらってください」

数日後、大学近くにあったクリニックに行った。元々は外科で、のち2代目が整形とか内科とかをやっていたが、住宅街のクリニックなので何でも屋ではあった。
「お願いがあるんです。今、精神科に通ってはいるんですが、薬を変えてくれなくて。試してみたいのが一つだけあるんです。処方だけしてくれませんか」
快諾してくださり、ツムラの抑肝散エキス顆粒が処方された。
そのあとに主治医をどうにか説得するのが大変だった。
「もう1週間飲んでるんです」とか「何かあったら自分で何とかします」とか言っても頷かない。
しまいには「誰にそんなこと言われたの?」というので「愛媛の味酒心療内科の笠陽一郎先生」とズバリ言い、もう少し問答が続き、何とか処方してくれた。

結局、大学時代の最後1年少々と、札幌での社会人勤めは、抑肝散+西洋薬 (例えばデパケンRやリボトリール) で何とか凌ぎ、障碍者就労支援事業所のスタッフとして施設外就労支援をしていた頃は、基本的には抑肝散ONLYで、ときにリーゼを頓用するくらいで何とかなっていた。何とかならなくなったのは地元に戻ってからで、不安発作で脚の震えがありリボトリール追加、或いは不安感が増強してデパケンR追加、希死念慮が強まりリスパダール液頓用……という具合だった。

笠Dr.はその頃とっくに味酒は辞められていたが、”しいのき心療内科”で診療をしていることは知っていた。いろいろと調べているうちに、開設間もない氏のブログを見つけ、また手紙を送ることとなる。数日経って、ショートメールが送られてきた。

お便り拝受。達筆お見事です☆

デパケンやベンゾジアゼピンやリスパダールは、余りにも過剰に思えました。
もっと、漢方72や12を入れて、精神薬を駆逐しないと、スッキリしないのでは?

要らぬお節介をご容赦。

private communication (2021-07-17)

ご縁とか偶然とかというのはどこにあるのかわからないもので、かかりつけ薬局の薬剤師のうち一人が、漢方・生薬の専門薬剤師だった。眠前に137番を2.5g使っていたので、3剤併用してもよいかどうか? 問うてみると、「抑肝散は7.5だけど加味帰脾湯は2.5でしょ、そんなに気にしなくてもいいんじゃないかなぁ」と仰せ。ついでに「72か12じゃないか、って言われてるんだけど」「12番は女性がよく出されるんだよね」と仰るので、現主治医に12番をお願いしたら、すんなり出してもらえた。12番を加えたあとにデパケンRをやめ (脱 気分調整剤)、リボトリールをやめ (脱ベンゾ常用)、抑肝散は抑肝散加陳皮半夏に替え、今の処方はとんでもなくシンプルではある。こうなるまでに16年くらいかかった。
余談ながら、なんと現在の主治医が最初の主治医でもある。当時多剤大量に至ったのはつくづく厚労省と製薬会社が添付文書の警告を隠したせいだと思わざるを得ない。

人生の半分以上を病と”共存”しているが、それに用いる薬は気付けばほとんどが”笠処方”になっている。やっとのことで落ち着くところに落ち着いた気がする。

現処方 (精神科分)

1) ツムラ抑肝散加陳皮半夏 7.5g
 ツムラ柴胡加竜骨牡蠣湯 7.5g / 3x. v.d.E.
2) ツムラ加味帰脾湯 2.5g / 1x. v.d.S.
3) レキソタン (2) 1~2T / 不安時自己調整
4) ルネスタ (1) 1~2T / 不眠時自己調整