北見で #さきんぬ のライブを観てきたこと

オニオンホールというライブハウスのその名は道北に住んでいる私でも何となく聞いたことのあるような気がする。かつてはオニオンスタジオといって、あるいは我々の年代だと、北見市出身の “Whiteberry" が解散ライブを行ったその場所というとわかりやすいかもしれない。

その北見オニオンホール。2024年1月20日(土)、高校の吹奏楽部で少しのあいだ1だけ一緒だったさきんぬのワンマンライブを観に行ってきた。

さきんぬとしての音楽を生で聴くのは実は初めてで……といいつつも、演っていた半分以上の曲は彼女のSNSで聴いたことのあるそれだったり、"Openning Act のオープニング" の弾き語りでのM.C.で語られるエピソードのあれこれは懐かしいものばかりで「そんなことあったよなぁ〜」と思い出したり、果ては危うく観客のなかでただ一人ツボに入りそうになったりはした。彼女の “0曲目" をリアルタイムで知っているのはあの場所できっと私だけだろうなぁ。

彼女のとんでもないのは音の作り方・組み立て方から、歌い方・楽器の歌わせ方などなど、その音楽が昔と何も変わっていないところで、ビックリした。しかも私にとってはとても馴染みのある音楽で、「メロディが上がるときはこうでしょ」とか「フレーズを歌い終えるときはこうくるよね」といったものがもう暗黙の了解のような感じで次々と繰り広げられるので、聴いていてため息の出るくらいだった。

これはあとで理由を聞いてすべて納得したけれど、内緒。ただ、この音楽の土台となるものが形成された頃の2005年の僅かな期間でも、一緒に音楽を演れていたことをすなおに嬉しく思う2

演奏者さんたちや他のお客さんたちと倶に打ち上げをご一緒させていただいた。まわりの人々からの愛を感じるなぁ……という一言に尽きる。北見ってそういう場所なのかもしれない。何かを伝える手段のひとつである音楽を、またその音楽を演っている人を批判している人なんていなかった。お互いの個性を認め合っているかのようなあたたかい雰囲気がたっぷりとあった。良い場所だなぁと思う。

さきんぬ先輩とは18年振りのご無沙汰で話す時間が全然足らない。いや高校の頃は先輩がT.Sax.で私がPerc.で、ちょうどBandの端と端だったから遠くて話すことも多くなかったのだけれども、当時はなんとなく畏れ多いという感じはあったかもしれない。20年近く経った今はもうなんかお互いにフツ~にタメ語で話してるし、あるいは一度も先輩だなんて言ったことない私がそう呼んでるし何が何やら……。

とにかく、音楽を演っている限りつながれることがとっても有り難い。

……というようなことをFacebookやInstagramに書いたのだけれど、まだある。
ライブ後に「先輩!ちょっと! せっかくだからツーショット撮ろう!」と写ったその自分の表情がものすごく “スッキリ" していて笑っちゃうくらいだった。もう一週間近く経つけれど、多少の “波" はあってもやっぱり “スッキリ" 継続中。というのは、10年くらい (いや、もっと?) モヤモヤしていた音楽のことがようやくスッキリしたからに他ならなくて、一気に穢れが落ちたような感じ。こんなイイコトがあって良いのだろうか? ライブを観に行くつもりが図らずも原点回帰することになろうとはねぇ……。

ライブが機縁で昔よりも頻繁なやり取りが続いていて、私にとっては彼女はずっとピアニストだったりキーボーディストだったりサクソフォニストだったりするのだけれど、(音楽を演る方から離れて4年以上経つというのに!) 有難いことに未だにこちらのことをパーカッショニストなどと呼んでくださっている。

佳い音楽の世界に浸れて、たくさんの音楽の話もできて嬉しかった。ありがとう。

道中のあれこれはTogetterにとぅぎゃりました3

これらのどこかに私がいます。
  1. 2005年4月から10月頃まで。およそ半年しかご一緒していないのだけれど、でも忘れられない人っているよねぇ。 ↩︎
  2. だからあの頃と同じように、端っこの真向かいからしか見れなかった。パーカッションは指揮者を見ようとするといやでもサクソフォンが目に入ってくる。 ↩︎
  3. 先輩のライブを観に行く (20240120-21) #さきんぬ https://togetter.com/li/2299815 ↩︎