死から逆算する生き方
今年2月に人生のひとつの転機を迎えてから、死についてよく考えるようになった。自身、元々16歳のときから精神疾患と共存してきてはきたけれども、希死念慮だとか、それによる病的な思考ではなく、間違いなく死に向かって歩み続けている一人の人間としての死のことを、よく考えるようになった。
何をどうやって考えても結論など出るはずもないのだが、たとえば、商売はどうするのかとか、家はどうなるのかとか、終の棲家はどうするのかとか、独り身になって改めて考えさせられることが余りにも多すぎる。齢三十そこそこの人間が何を考えているのかと言われそうだが、考えてしまうのだからどうしようもない。
周りの人々のことを考えてもいろいろある。物事の「順序」は不確実なものだが、一般的な順序で考えれば、こちらが送り出すであろう人々ばかりではある。両親や祖父母はともかくとして、親しくしてくださっている友人は年上の方々ばかりで、考えたくもないが、いずれ今生の別れが来ることは紛れもない事実である。
私の中学時代の恩師は、教員である前に絵描きであり、その昔、ひとり「芸術家は一人で生きていかねばならない」とつぶやいて涙したようなことを聞いている。けれどもしかし、如何に社会的なつながりがあろうとも、あらゆる場面において「一人 / 独り」である「私」の存在はある気がしてくる。社会は関係によって存在し得る。
異口同音にして「それなら別れてよかったでしょう」と言われる離婚ではあったが、これまでそういった関係が前提だった生き方がガラリと変わってしまったら、何をどうしていいのかまったくわからなくなった。そのうちに、自分のなかでは「死」から逆算したような生き方をするようになった気がしてならない。
「しばらくは好きなように生活すればいいよ」というようなこともよく言われる。4.543 × 10^9 年 ±1% の地球の歴史からみると瞬きひとつのような人生は、もはや死ぬまでの暇つぶしでしかないような気さえもしてくる。
きっとこれまで以上に他所様に迷惑ばかりをかけていくのだろうけれど、いずれ互いに死してゆく身、またお浄土で会えればこれに勝る喜びはない。
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