高野切第三種 顛末

「道」のつくものは突き詰めれば精神修養に他ならないと思う。茶道・華道・柔道・剣道……、いま私がさせていただいているのは、書道と空手道。結局どれもこれもが、自分の心境のままに何かが顕れてくる。

苦手意識があるものに取り組んでいると特にそれが顕著で、書道だと仮名が大の苦手である。

所属会では規定のテキストを学修していくランクはとうに終わり、何年か前からは順を追って古典作品臨書を行なっている。「九成宮醴泉銘」「蘭亭序」「真草千字文」「曹全碑」をそれぞれ半紙六字×50枚を書き終え(「蘭亭序」は楽しくて全臨した)今年の春からは「高野切第三種」。これがどうもよろしくなくて、昇格前に仮名の課題をこれでもかというくらい朱で直されたことから、自分の中に「苦手」という意識が固まってしまっている。

5月半ば過ぎに初めて半紙3, 4枚を書き、それほど悪い評価ではなかったのに、けれどもどうしてもやる気が出ずに4か月くらい経ってしまった。

流石にこれはいけないと思い、真夜中の1時に久々に仮名用の筆(その名もずばり「高野切」である)を持ち、半紙・手本に対峙する。必死に20分以上かけて清書1枚がなんとか出来上がり、もう1枚書くときには汗がダラダラ垂れ落ちる始末。そして3枚目、書いている途中で何か “スイッチ" が入る感覚あり。ちょっと休憩して、汗が落ちないように頭にタオルを巻き、4枚目、5枚目、6枚目……と、今度はトントン進んだ。

上手くいったかは添削を出して返信がこないとわからないけれど、久し振りの高野切第三種、我ながらよく頑張ったと思う。気がついたら1時間半も経っていた。書友諸先生方の夜なべして書く気持ちが少しだけわかった気がする。