空手の昇級審査のたびに思い出すこと
所属している支部では年2回昇級審査を行っていて、全国大会が迫ってくる6~7月頃と、年末で何かと忙しくなってくる12月とに審査がある。全国津々浦々の事情はさまざまで、なかには年に3, 4回審査をしている支部もあるみたいだけれど、ともかく、こちらは半年に一度、あの独特な雰囲気に包まれる。
ところで、小学6年の頃だったと思うけれど、空手の稽古が一度に2時間あったとして、その半分を「自由稽古」になった時期があった。いわゆる、自主練習。
ところがこれが当時の自分たちには大変なものだった。その頃は準備体操・ウォーミングアップがあって基本稽古を行なったあとは、結構な時間を組手の稽古に費やしていた。形の稽古はしていたけれど、当時は入門者があるたびに平安初段をしていたので、だいたい平安三段から先の記憶が曖昧になる。曖昧なので、一人で形の稽古はできない、ということになってくる。そして、「えっ、一人じゃ移動基本しかできないし、どうしよう……」ということになる。
それで結局 My First 師匠 は1回目か2回目の自由稽古の時間のうちにしびれを切らして帰ってしまった。これはよろしくないと、当時その道場の少年部で最年長であった男子三名(もちろん私もそのうちの一人です)が先生の自宅へ伺って頭を下げたのだけれど、そのときに言われたのが「手段と目的」の話であった。中学入学を前にした小学生がそのすべてを理解できたかどうかはわからないけれど、けれど、こうして20年以上経ったいまでも思い出すということは、影響は相当なものだったと思う。
閑話休題。前回の昇級審査から半年が経って、また昇級審査の時期がやってきたのである。
審査の何週間か前になってくると、「この形の状態だったら落ちるよ」とか「仮ついたらイヤだなぁ」という言葉が、我々道場生からも指導員からも出てくる。稽古をしている最中はこういう言葉にやけに敏感になってしまうのだけれど、帰り道に車を運転しながら、あるいはその日の寝る前とかに我に返ると、二十何年前に教わった「手段と目的」を思い出したりもする。
上の級に昇ったり、級から「仮」が取れたり、帯の色が変わったり、黒くなったりするのは、目的ではないはずである。
だからきっと、僕たちは初めて道場に行くときに「なんとなく興味がある」とか「強くなりたい」とか「体をたくさん動かしたい」とか、そういう純粋に思ったことが本来の目的なのであって、「黒帯になりたい」とか「試合で勝ちたい」というのは、最初の目的ではなかったはずなのである。
……と、一昨年の秋に試合に出たときにそう思ったのだけれど、こういうことってなぜか忘れてしまって、どうしても目先の数字とか帯の色とかに拘ってしまって、審査直前に思い出したりして。
そういうわけで、どうにかして審査ギリギリに我に返るというか、原点回帰するというか、そういった心の動きもありつつ、審査ですのでご多分にもれず、力みすぎたり力が抜けたり、あるいは床で軽く運足が滑ったりしつつ、なんとか終えてきたのが昨日の夜の話。
こういうことを言ったら元も子もないのですが、審査中にあまりにもご指摘が多く、もう結果に拘る気持ちさえなくなっていました。結果はあとからついてくるので、記憶が飛ぶような緊張をしなかっただけ、御の字ということにしたい。
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