診察室で泣いた日

札幌へ行ったのは、持病の精神疾患の通院先を変えるためであった。遠隔地、というか、北海道のド田舎に住んでいるにも関わらずに通院先を変えるというのには理由がある。「医療に何を求めているのだ」という声もあるかもしれないが、それを百も承知の上で書く。

前医(となってしまった。地元の精神科医師)は、患者の話しをただ聞いているだけであった。或いは、「仕事をセーブしてください」と言い、別の日に私が「具体的にはどのくらいセーブすれば?」と問うと、「詳しい仕事の内容を知らないので、具体的にどう、とはお答えできません」とかわした。

こちら側の話しを聞いているだけなのだから、答えようがないのも頷ける。換言すれば、患者の社会的背景、仕事のこと、家庭のこと等々、そういったことを医療の側から問うてこないわけだから、こちらも敢えて話す必要がないと思ったことは話さないし、向こう側もわからないのである。

それに加えて、私が薬に敏感な体質なものだから、安定剤から睡眠導入剤に至るまで、ありとあらゆる処方に躊躇するとか、或いは夜間に救急外来を受診したときは、精神科医師とは電話とのやり取りしかできないようで、ホリゾン1筒の筋注もされず(十何年前はしてくれたのになぁ)、救外に備えてある薬から適当にチョイスしてもらい(要するに他科の医師でも処方できるもの、ってことなんだろう)何とかその場を凌ぐ程度で、病院全体の仕組みにも疑問が残る。

かくして何度目かの救急外来受診のあとの外来への予約外受診日に「転院したいです。診療情報提供書を書いてください」。その診察が始まる数分前にはすでに転院先クリニックへの予約を終わらせていた。

5日午後に診察となった。私が相当に “こじれていた時期" を地元病院で診てくださった当時の主治医が、再びに主治医となった瞬間であった。救急対応ができないこと、遠隔のため通院頻度を考えねばならないこと等、想定された質問に対して「はい、すべて承知のうえでこちらへ来ました」と私。隣席の妻も頷く。もう、すでに、自立支援受給者証の医療機関の欄は、市役所で書き換えてもらっている。

診察開始から10分くらい経った頃だっただろうか。主治医は「これ、正直ですね」と切り出し、冷静な少し早口な、その聞きなれた口調で語りはじめた。

 これ、正直ですね、今飲んでるお薬の内容を見ると、薬が効いてるってよりは、おそらくこれ長い経過で……私があそこで診療していたのが平成23年までだったので……あれからもう8年ほど経ったんですけども、ご本人が、やっぱりこう学校に行ったり、人とね、奥さんと知り合ったりとか、仕事をしたりとか、いろんな社会経験を積んで、人間的に成長したお陰で、自殺企図も減ったし。ずいぶん頑張れるようになったね、自分の感情をコントロールできるようになって。

 だから、精神科の医療がね、何か、ご本人を治したとか、薬で治ったんでなくて、やっぱりご本人が成長して、自分の性格とか、得意不得意と折り合いをつけて生きていくことがね、だんだんできるようになってきたということだと思うんですよね。

 だから、基本的にまぁ、ねぇ、**の先生があんまりね、話しを聞いてくれるだけであんまり治療してくれないって言うけども、結局、ちゃんとした治療をしたから良くなるものじゃなくて、本人が自分の力でここまで良くなってきたわけね。

 だから、今後、精神科の医療でできることも、その都度、たとえばちょっとお薬を変えるとか話しを聞くとか、そういった、対症療法的なことで、とりあえずご本人の、いわゆる死にたい気持ちとか、落ち込みとかと折り合いをつけてもらって。

 あとはまぁ、たかだか8年でここまで立派になったわけだから、あと10年20年経てば更に成長して、よくなるんで。やっぱりそれを待つのが、……そこまでなんていうかなぁ。支えていくしかないのかなとも。ただそれだけなんですよね。

 だから治せるわけじゃないんです。ご本人が着実に成長してきているので。まぁそれが、まぁご本人わからないしね。まぁ、多分……、まぁ、**で診ている先生方は、あんまりご本人の成長はわかんないだろうけどね。一番こう『こじれていた時期』からみると、ずいぶんこの、なんか、診療情報提供書を拝見するにつれて、ずいぶんご本人が人生経験積まれて立派になられたなということがわかりましたので。……それでまぁ、いいんじゃないかな、と。うん、『よく生き延びてきた』と言うべきでしょうね。よく頑張りましたね。

幾度も繰り返し発された「成長」「頑張れるようになった」という言葉に加え、「更に成長してよくなる」という言葉。私の頭の中では、地元病院での初診の日のこと(高校1年の12月29日、第2診察室だった)、何度も繰り返した入院生活、そして保護室への隔離。四苦八苦して高校卒業し、主筆論文を2編書いたり、ブラック企業勤めがあったり、福祉の職に就いて必死に働いたり。そういったことがどんどん思い返され、さらにあのような言葉が発されて、とうとう胸いっぱいになり、診察室で声をあげて泣いてしまった。

クリニックからの帰り、妻と「来てよかったなぁ」とか「早く転院するって言っちゃえばよかったなぁ」とか、「やっぱり質問して理路整然と答えてくれるのは、いいよなぁ」とか二人で語り合った。

これからは概ね1~2か月に一度の通院になろう。それでもお世話になりたいのは、私の “こじれていた時期" にお世話になった医師であり、生活のことも仕事のことも話しを聞いてくださり、助言してくださるから。医療に対して大切なところや重きをおくところはは人によって違うだろうが、私にとっては「会話」でしかなかったのであった。