思い出のユースホステル

2019-10-06

大事な用事があり、札幌に来て前泊している。その宿泊先は、札幌国際ユースホステル。この裏には池上学院高等学校 学園前キャンパスがあり、そこに2年弱通った私は、同じあいだ、このユースホステルにお世話になった。思い出の場所である。

当時は持病の精神疾患もいわば急性期・亜急性期といった感があり入退院を繰り返していた。そのため、いつもは家族の誰か彼かが同行し、ツインの部屋に宿泊するというのが「通例」であった。ただし唯一の例外があり、それは3年生の後期期末試験のときのこと。家族の仕事は繁忙期で、試験を受けるには3泊しなければならない。そういうわけで「已むを得ずに」一人で3泊することとなったのだ。

高校卒業後、札幌国際ユースホステルにお世話になったのは今回で二度目だが、来るたびに思い出されるエピソードがある。ひとつは喫煙所での韓国人男子大学生兄弟との出会いであり、いまひとつは同じく喫煙所での、否、正しくはそれに隣接された自販機コーナーでの、オーストラリアからワーキング・ホリデーで来日した男性との出会いである。

韓国人の兄弟は、お兄さんの方が大卒間近だったがあまり日本語が喋れなく、弟さんの方はというと簡単な日本語でコミュニケーションがとれたので、我々はそれぞれに日本語と韓国語と拙い英語とを用い、二日間くらいやり取りし、部屋を行き来することもあったくらいであった。
SNSでつながりを保ってくれたのはお兄さんのC氏であった。3.11 東日本大震災が起こったときなど、Facebookのメッセージ機能を使って真っ先に連絡してくださった。……が、今現在はというと、冷めきった日韓関係よろしく、メッセージを送ろうとも返信が一切来ない。国同士の関係など、個人間のそれとは違うものだと思うのだが。それでいて、C氏は未だFacebook上では「友達」のままでおり、どうも腑に落ちない。

オーストラリアから来日していたM氏とは同じフロアで、自販機コーナー兼喫煙コーナー(が当時はあった)で何度か目にしていたが、或る朝私が “Where are you from?" と一言発したところから交流が始まった。試験三日目の朝だったように記憶している。
M氏は日本語がわからず、英日対照会話集などを手にしていた。私も英語が(当時高校3年だったというのに!)てんでわからず、しかも普段習っているアメリカ英語、いわば米語とは異なり、豪州英語であったから、まず Martin を「マーティン」を発さず「マーテゥン」とか「マーチン」とかに近い発音で口にするのから四苦八苦しているような有様であった。彼とは(当時はまだGoogle 翻訳なんてなく、Yahoo! 翻訳も精度がイマイチだったから)ロビーに設置してある超遅い組み立てデスクトップPCでIEを開き、Excite 翻訳を使って「意思疎通」を図ったものであった。ちなみに、今はそんな激遅PCはなく、Windows 10が入ったDELLのマシンがしっかりと置かれている。

やり取りが定期的にずっと続いていったのは Martin の方であった。韓国人C兄貴ともM氏ともメールアドレスを交換したが、M氏は札幌国際YH滞在中だけではなく、東京に拠点を移したあとも、九州に拠点を移したあとも、ALTとして働き始めたときも、ずっと定期的にメールを送ってくれた。もちろん、Facebookで今でも「つながり」が続いている。今日も、「今晩、札幌国際YHに妻と泊まるよ」と英語でメッセージを送れば、すぐに「We have good memories from there 🙂 」と返信があり、到着後、幾つかの画像を送れば「I remember now seeing those photos!」と返信があった。ほんとうに、嬉しい。

外観も、ロビーのレイアウトも、受付の職員さんも、廊下も、部屋も、部屋の臭いも、エアコンも、トイレも、ちょっと塩素の臭いがする風呂も、ず〜っと変わらない札幌国際ユースホステル。この “状態" が長く続いてくれれば、と心から思う。ロビーでたむろしたり駄弁ったりする学生たちがいるという “光景" も、世代は変われど当時とまったく変わらない。なんだか、こんなことでさえ、嬉しくなってしまう。

変わってゆくものは数え切れぬほどあるが、変わらずに存在しているものがあるお陰で、忘れていた何かを思い出すことができ、過去の自分と今の自分とを重ねることもでき、己自身を見つめることもできる気がする。変わらずに、ここ豊平に当時のままに “在る"、その札幌国際ユースホステルに、ただ、感謝を。