29歳になった

カレンダーと戸籍係によって、人はいやでも四十になる。あなたが二十七歳であれ、十五歳であれ、あるいは母の胎内にようやく宿ったばかりにしろ、いつかはそうなる。[1]

以前ほど実感はないのだが、誕生日がきて歳をとった。カレンダーは日に一枚月に一枚と捲られてゆき、気が付けばもう29歳。最近、自分の歳を言い間違えそうになることがままある。

この一年間を振り返るとどうしても秋に腰を痛めたことが思い返される。応用情報技術者試験の一週間前にギックリ腰をやり、試験場所への行き帰りのバスの振動と、その運転手の凄まじい運転によって我が椎間板はオカシクなり、そこそこ経験のある医師がたった一枚のレントゲン写真を見せながら「これが椎骨っていうの。その間にあるからこれが椎間板。これがはみ出して神経の方にグゥ~っといっちゃってるのをヘルニア、っていうの。だからこれは、椎間板ヘルニア」とさも親しげに言い放し、痛みとの共存生活は始まった。

平成29年・2017年、書道を始めたり短歌を始めたり、学生時代以来で真面目に音楽を再開したりはしたのだけれど、秋からは常に坐骨神経痛とその恐怖にやられ或いは怯えながら過ごし、そうしていまも過ごしている。

先日データベーススペシャリスト試験を受けたときには、一杯呑んだあとの帰りの列車のなかで酔いがまわり多量の発汗をし、その晩も翌朝も喉がおかしく咳も出る始末で、挙句、置き薬であった風邪薬を飲んだだけでこれが良くなってしまうんだから、とどのつまり、試験を受けたついでに風邪までひいて帰ってしまった。なお、飲んだからそうなったと言われないために、その日の旭川はとくに寒く2度か3度くらいしかなかったのを付言しておく。

ともかく、何かにつけ「うっかり体調不良」が多かった感は否めない。

我が恩師は「”いい加減”より”よい加減”」と何度も何度も繰り返し、当時ゼミ生だった私に言ってくださった。また、そう仰る何年も前に氏は論文にもそのことをあらわしている[2]:

人は物事を判断したり意思決定したりする場合に,緻密で細かいデータや情報を参照することは多いが,最終的な結論や判断に至った思考過程は必ずしも明確ではない.裏付けが不確かで曖昧なことも多い.多くは確実性のない曖昧性のある〝巾” を持って物事を判断し,行動を決定しているのが普通である.換言すれば,〝完璧(完全)” ではなく,〝良い(好い)加減(〝いい加減” ではなく〝よい加減”)” な対応なのである.

二十代最後の歳こそは万事”よい加減”で物事に臨めるよう努力していきたい。

[1] 北杜夫: “どくとるマンボウ青春記”. 新潮文庫 (1968).
[2] 佐藤和洋 “柔らかいデータベースシステム SODAS の研究 (1)”. 社会情報 19 (1), pp.1-22 (2009).

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