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ひとり実践報告 (朝メール)

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2019/05/28

利尻は私のルーツのひとつです

5月25日、利尻町交流促進施設「どんと」ホールにて、利尻町開基120周年記念事業 オープニングイベントとして「利尻町音楽祭」が昼・夜の2公演催されました。

共演いただいた皆様、お世話になった皆様、ご来場いただいた皆様には感謝しかありません。

76.1MHz "あなたのラジオ" FMわっぴーでお聴きいただいた皆様、インターネットラジオでお聴きいただいた皆様にも、感謝申し上げます。

記念祝歌「約束のうた」をめぐる幾つかのエピソードについては楽団のブログにゆずらせていただきます。

親戚(母方の祖父の兄。母からみれば伯父)からは思いがけず差し入れまで頂戴してしまいました。

ここからは私の「アナザー・ストーリー」です。

打ち上げ・二次会と結構飲んでしまい、だいぶ遅くまで、というか9時頃まで熟睡してしまったのですが、「せめて会って御礼を」と思い、同室の人に「ちょっと出掛けてきますから! 40分過ぎには戻ります!」と声をかけ、フロントへ。

「すみません、つかぬことをお聞きするんですけど、種富町までここからどのくらいかかりますか?」

「種富なら近いから、車で5, 6分くらいですね」

「あの……! タクシー呼んでもらえますか」

「少々お待ちください」

……

「いまタクシーが鴛泊(※利尻富士町、船の発着地)にいるみたいで、10時10分くらいまでこっち(沓形)に戻らないみたいなんです」

「そうですかー……」と、半ば諦めかけていると、ホテルの(結構偉そうな雰囲気の)男性スタッフさんが

「近くだから、送っていきましょうか?」

「ホントですか! いいんですか?!」

「えぇ」

「お言葉に甘えさしていただきます……!」

ということで、ホテルのハイエース風の車にホテルのスタッフさんと一緒に乗り、種富町へ。

「種富のどこらへんですか?」

「駐車場のとこでいいです。……あ、あの、もしわかれば、○○家のところまで、お願いしたいんですけど」

「○○さんのところですねー、いいですよ」

「……親戚なんですよ」

昆布漁をしながら以前は自治会長やら何やらもしており、或いは昔は沓形本町で商店もしていましたので、知らない人はいないってわけです。島の皆さんみんなご存じでした。ちなみにその息子さんは昨年度末まで役場にいましたので、演奏会のその日に誰か彼かと話すと、そのいずれかの話題となってしまうのです。

9時20分頃に到着。

「ごめんね、連絡もしないで急にきて。昨日はどうも有難うございました」

「なんもなんも、あがってあがって!」

約9年前に曾祖母の葬儀のとき以来の再会でした。

仏壇に納められた曾祖父・曾祖母の遺影をみると、それぞれの通夜・葬儀での出来事が思い出されます。

「昨日はどうも」という話しから、近況報告をし合っているうちに、あっという間に9時40分。わずか20分の滞在でしたが、貴重な20分でした。

ホテルまで送ってもらう5分間のあいだに私の口から出た言葉。「こういう年に利尻の役場から招いてもらって演奏出来て、幸せだわ」

中学1年・13歳の頃から今30歳までのあいだ、途中ブランクはありながらも続けてきた吹奏楽ですが、こんなに幸せで、喜びと嬉しさとを感じながら臨めた本番は、初めてでした。

会場に入る前のバスの中で、また、夜に打ち上げ会場の居酒屋へ歩きながら、或いは、帰りに鴛泊のフェリーターミナルまで送ってもらうバスの中で、沓形の街を眺めながら、何度も何度も溜め息交じりに「はぁ、懐かしいなぁ……」と独り言をつぶやいていた私。

気が付けば、利尻町は自分のルーツのひとつだ、と、自信を持って言えるようになっていました。